のぽぽん にき日記〜Live Comfortably(気楽に生きる)〜

お気楽なのんきながんばらない日常をのんびりつづっています♪

チキンな乱暴者のダンゴムシ

にきです。
がんばらない日常をのぽぽーんと
ゆるーく綴っています。

タイトル、変ですか?

これは、自分が大好きな作家さん、
有川ひろ氏(浩より改名されたようです)の
エッセイのあとがきから拝借したものです。

作家さんご本人が、チキンであろうが
乱暴者であろうが、ダンゴムシであろうが
ダンゴムシに文章は書けないと思うが…)
作品が素晴らしければ、自分は読みます!

残念ながら、単行本はなかなか手が出ず(T_T)
文庫本派なのですが…。

有川浩さんと言えば、図書館戦争
では、なく、塩の街 です!
だれがなんと言おうと、です!!
(だれも自分ごときに文句は言わないかと…)

まだ、電撃小説大賞電撃ゲーム小説大賞
だった頃のこと。

この人、天才だぁーーーーっ!
ど、ど、どうしよう?!
天才を見つけちゃったよー(ノ*0*)ノ
と、ひどく動揺したのを覚えています。

ゲーム小説、と言ってしまうには
話の内容がとても、とても映画的で、
今でも、この塩の街と海の底は
ハリウッドに売りたい!と真剣に思っています。
(↑なんの権限もありませんが…)

ちょっとした自慢の一品がこちら↓
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見えます?
初版本です♪

第1作目から、ずぅーっと大ファン⁄(⁄ ⁄•⁄-⁄•⁄ ⁄)⁄
もちろん、全作品読んでいます。

その有川ひろ氏の初エッセイ本に収録されてる
小説2編のうちのひとつを読んで、
主人公の彼女が涙するシーンで、
自分も一緒に涙してしまいました。

ここからは、ちょいとネタバレ含むかも。

神戸生まれの神戸育ちで阪神淡路大震災
がっつり経験している自分ですが、
実は、
高知県の馬路村にはとても思い入れがあるのです。

今からたぶん22〜3年も前になるでしょうか、
馬路村に移住してきませんか?的な記事を
広報誌か新聞かなにかで見て、その頃は
地震で生活の基盤がなくなり、全く新たな土地で
生活をやり直すのもええんやないか、と
子どもが小学校に上がる前なら、行けるかも、と
子ども2人連れて、行ったことがあるんです。

町役場の人たちだったと思うのですが、
とても良くしてもらって、
子どもも馬路村を気に入って、
気持ちはもう8割がた移住しようと
思っていたのですが、その気持ちを
止めるしかなかったのが、自分自身の就職先。

働くところがなかったんですね…。

もともと、林業の村で、森林伐採などの
仕事なら、いつでもあるというような話だった
と思うのですが、女性では、その仕事は無理。

できる仕事は、町役場の事務くらいだけど
空きがない、と。

シングルで子ども2人を育てなきゃいけない
自分は、パートやアルバイトをするって
考えも毛頭なく、正社員としての職が必要で。

そこの部分がどうしてもクリアできず、
馬路村への移住は、立消えとなってしまった…。

ただ、その時に馬路村でいただいた
ゆずのジュースが本当に美味しくて、
神戸では手に入らないからって
いっぱい配達してもらったことを記憶してて。

隣近所や友人知人にまで配りましたよ。
めっちゃ美味しいねん、飲んでみぃーって。

その頃には、ゆずを様々に商品化するなんて
プロジェクトは立ち上がってなかったし
ゆず商品を引っ提げて、本州へ上陸するという
企画もなかったのだと思いますが、そんな
企画の種でも、あったなら、
もしかすると、そのプロジェクトやりたい!と
馬路村にとどまったかも。なんて、、、

今となっては、たら、れば、の話。

それでも、今なお、もしかしたら自分、
馬路村ゆずプロジェクト神戸分室の
ゆず大使になってたかも、なんて(^^)

だから、彼女が、今となってはもう帰ることの
できない故郷の村を、もしかすると
恋人同士になれていたかもしれない彼が
企画した、ゆずの入浴剤の原産地として
高知県馬路村を目にした途端に涙を溢れさせる
シーンでは、ほんと、自分こそ、
涙が溢れそうになりました。

あの時、自分が職にこだわらずに
馬路村に移住していたなら、
有川さんとは、また、別のかたちで
出会っていたのかもしれません。

なんて、夢みたいなこと思っています。